にほんブログ村 受験ブログへ にほんブログ村 大学生日記ブログへ←ブログランキング参加中なので、もしよろしければ一票を!

激ツラ!!全力で集英社の二次面接(2015年)に挑んだけれど通らなかった話(前篇)


スポンサーリンク

 ブログにそのうち書こうと思っていたことがありました。それがこの、2015年の就活で集英社に通らなかった話。予定ではもう少し先に書こうと思っていました。しかし、他の記事の成功体験と対になるような形で書くのがベストかな、と思いこのタイミングで書くことにしました。思い出すだけで今でも胃が痛くなるのですが頑張って書きます。深夜のノリで書くので乱文乱筆ご了承ください。

 第一章 決起編

 2014年9月(くらい)、当時修士1年だった私は色々あって理系への情熱を失っていました(この辺りの事もちゃんと話すと長くなるのですがこの一行で終えることとします)。そんな失意の中、私が思ったことは「マンガ編集者になりたい」でした。なぜこのような突飛な発想に至ったのかと言うと、思えば自分が東大理系に進んだのも、手塚治虫の『火の鳥』を読んで生命についての知的好奇心を抱いたことがきっかけだったからです。そういう意味では、この荒唐無稽な決意も、自分がこれまで歩んできた人生の原点に立ち返るという意義があります。また、当時の自分はフリーペーパー作成サークルである程度の活動をしていたため、大学時代の活動と全く関係付けられないこともないと思いました。

 本命は集英社と決めました。なぜ『火の鳥』なのにKADOKAWAでないのかというと「だってガンダム分からないしw」。あと17年購読を続けていたマンガ雑誌がジャンプしかないというのもありました。マガジンやサンデーの話題が(進撃の巨人やコナンなど一部の連載を除いて)全く分からなかったのです。大学院での研究を続けながらジャンプ以外の話題にCatch Upするのは厳しいと(当時の自分は)思いました。

第二章 布石編

 さて、本命を決めた私は、早速布石を打つことにしました。自分にはフリーペーパー作成サークル所属、しかアピールポイントがなかったため、さすがにこれでは弱すぎると思ったのです(出版社のESだと大学名書けないので、東大卒&東大大学院在学の経歴も意味なし)。

 第一に私は、短編小説賞に作品を応募することにしました。編集者と言えば作品を構成する手助けをするのも仕事の一つ。この力を手っ取り早く示すためには、小説賞である程度の選考に残るくらいの力はあると言えれば良いと思ったのです。

 第二に私は、あるジャンプ系のマンガが新タイトル案を読者から募集していたため、その応募に全力を尽くすことにしました。もし採用されれば、集英社への愛とマンガへのセンスを同時に示すことができると考えたのです。そのマンガは連載開始から追っているので作者の先生が喜んでくれそうな案が分かります。行ける。

 そして、フリーペーパー作成サークルで活動していたという実績。この3つがあれば事前の備えとして良いんじゃないかと思いました(まぁ今から思うとこの発想は少しズレていると思うのですが、当時の自分は知る由もないので一旦スルーします)。そして数か月後。小説は一次選考通過(二次選考は通過できませんでしたが)。新タイトル案は採用され、編集部から特典の生原稿を送付しますという電話が掛かってきました(なお、そのタイトルは現在も使われています)。

 完璧だ。敗北を知りたい。そして時は就活期へと移ります。

第三章 ES編

 就活期に入ると、エントリーシートが公開されます。しかし自分は事前に内容を把握していたので、憶することなく記入していきました。好きなマンガは『火の鳥』と、自分の新タイトルが採用されたやつ。好きなアニメ『遊戯王ZEXAL』『マインド・ゲーム』『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』。集英社の収益の一端を担う遊戯王をちゃんと最新作まで追っていることをアピールしつつ、『四畳半神話大全』で人気を博した湯浅監督の名作を入れる。細田監督作品も『サマーウォーズ』ではなく、その下敷きになっていてかつ集英社も協力していた『ウォーゲーム』を入れる。完璧だ。完璧なチョイスだ。あなたの写真を張ってあなたをアピールしてください――友達と棍棒を持ちながら対峙している写真を張って「現代のバーバリアンやってました」(←ここ今思うとだいぶ浅い(汗))。

 課題作文は、中高での片思いを拗らせて東大合格したものの、相手は結局東大に落ちて別の大学に入るし、結局脈はなくて辛いという話を書いた。とりあえずこういうのは恋バナに寄せときゃいいんでしょ、みたいな。そして肝心の「入社後したいこと」にはもちろん第一志望:編集職と書き、知り合いだったある競技のプロに話を聞かせてもらいつつ作った、競技物のマンガのネタがあることを書く。ESが通らないビジョンが見えない(※当時の自分には)。そしてES通過。

 ES提出者が約一万人いる中、通過者が約二千人くらいなので、五倍の倍率を勝ち抜いたことになります。

第四章 筆記試験編

 ESが通ると、次は筆記試験を受けることになります(会場は確かこの時は日本大学経済学部)。この筆記試験は二部に分かれています。第一部は、漢字の書き取り等があるものの、記号問題中心です。記号問題中心と言ってもその内容はバラエティに富んでいて、「次の四枚の芸人のグループ名を英語にしてアルファベット順に並び替えた時3番目に来るのはどれか」のような厳しい問題から、表面だけマンガ・小説のキャラにしただけの計算問題など様々な問題が出題されます。センター英語みたいな問題もありました。

 しかし、最も重要なのは第二部の作文試験です。作文試験では(最新の傾向では違うようですが)「三題噺」が出題されることが多いです。これは、与えられた三つのお題を全て使用して時間内に何でも良いから話を作れというもの。自分の時は制限時間60分(記憶が不確かなので、80分だったかも)、字数800字、お題は「ついに発見、色鉛筆、任意のカタカナ五文字」でした。自分がこの三題噺に対して考えていた対策はただ一つ、「何かいい話に持って行こう」。そして自分が書いた作品がこちら(時間が余ったので、見直しを兼ねて草稿用紙に写していました)。使用したカタカナ五文字は「ラブレター」。

『桜の季節、最後のラブレター』

今はもう五月も下旬、青葉が繁るころだけど、その少し前、桜の咲く季節になると、小学校の頃を思い出す。皆さんは、クレパスを使ったことがあるだろうか。小学生用の、先の尖っていない独特の色鉛筆。僕はあれを使って、絵を描くことが好きだった。特に好きだったのは、桜の絵を描くこと。そして、そのときに一番使うのは桃色のクレパスだ。逆に言えば、桃色のクレパスはほとんどその時にしか使わない。小二のとき、小一の春に使ってからほとんど背丈の変わらないクレパスを見て笑ったものだ。黒は二代目になるのに。

 小二の四月下旬くらい、校庭の桜の木の近くで、舞い散る花びらを一人ぼんやりと眺めていた僕は、近くに背の高い――小五くらいの女の子がいるのに気付いた。女の子は僕に「よ!君も桜が好きなのか!」と話しかけてきた。僕が「うん、そうだよ。でも、桜の絵を描くのはもっと好きなんだ」と応えると、女の子は「うん、そうだよね」と頷き、「一緒に遊ぼう」と言ってくれた。その後、僕はその女の子とよく遊ぶようになった。

 ただ妙だったのは、彼女は校庭に僕以外の人がいないときに現れること、そして僕が学年を経るごとに背が伸びる一方で、彼女は毎年背が縮んでいくことであった。

 小学六年になったばかりの四月、小一並みに背が縮んだ彼女を見て、僕は彼女が桃色のクレパスの精であることをついに発見した。「さすがに気付くよね。これ以上小さくなると、もう出てこれなくなっちゃうんだ」と言う彼女に、僕は「そんなの哀しすぎる、ならもう使わないからさ、もっと遊んでよ!」と返す。すると彼女は、「大丈夫だから、三月にまた桜を描いて。君の描く桜、私も好きだから」と言った。その後一度もクレパスを使わなかったのに、彼女は卒業式の日まで姿を現さなかった。僕は覚悟を決めて、満開の桜を描いた。その絵は、僕の彼女への最後のラブレターだ。

 

 展開がやや急なのはありますが、「ラブレター」を文章の最後に持ってこれたのと、字数制限と制限時間を考えると、良い出来なのではないでしょうか。結果、筆記試験も通過することができました。

 

後編に続きます。

igkb.hatenablog.com