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激ツラ!!全力で集英社の二次面接(2015年)に挑んだけれど通らなかった話(後篇)


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前篇の続きです。前篇はこちら。

igkb.hatenablog.com

 第五章 一次面接編

 筆記試験を通過すると、後日一次面接に進みます。一次面接の会場は確か学士会館で、小学校で行う健康診断の如くパーティションで区切られたブースで、若手の社員さんの面接官三人と面接を行う形式。事前に(筆記試験の際に通過者・非通過者問わず全員に)「面接シート」なるものが配られて、面接官に読んでほしいことを書いておく形式になります。自分は先述の、プロに話を伺いつつ考えた競技マンガのことと、自分のタイトル案が採用されたことについて書いておきました。

 ブースに入ると話題が弾み、「あのマンガの新タイトル、君が考えたの?スゲー!」と褒めてもらえたりしました。また、「競技マンガがもし長期連載化したら、いや、しなければならない状況になったらどうする?」という質問に、「最初のうちはもちろん、私がプロから聞いた人間技で行える範囲のテクニックのレベルを徐々に上げていきます。しかし、それも限界に達したら、思い切って妖怪や宇宙人を登場させます。今まで大会の優勝を争っていたのが、今度は生死や惑星の命運を賭け、新たなステージの戦いへとインフレーションしていく訳です。テニスの王子様ジャンプSQに移籍していますし、このような展開だとリアル路線のハイキュー!!とは住み分けができると思います」と答えたら、「うんうん、インフレは少年マンガの常だよね。それにプロに直接話を聞いているのも良いね!」と好感触の反応をいただけました。そして一次面接は終了。

 この後自分は「これは今後の面接も余裕かも」と完全に浮かれていました。実際、一次面接は通過。この時点で150人程度まで絞られるので、ES提出から考えると約67倍の倍率を勝ち抜いてきたことになります。後は10倍を勝ち抜くだけ。そう思っていた私は知らないのでした。次の面接が、集英社への最後のラブレターとなる事に…… 

第六章 二次面接編

 二次面接は日を改めて、集英社内での私服面接になります。そのため私は事前に親に事情を説明して三万円を貰い、マルイで店員に「ビジネスカジュアルっぽく」と言って服を適当に見繕って貰いました。

 そして迎えた面接当日。最初は40歳後半~50歳前半の面接官8人くらいと、学生8人くらいでガチンコ集団面接になります。まず、学生が順に自己紹介すると、面接官の一人が「じゃあ、今日の服装について何か話して。最終的に全員に言ってもらうけど、最初の数人は挙手制ね」と言い放ちます。ここで遅れを取るわけにはいくまいと真っ先に手を挙げて、「はい。今回は私服面接ということで、ビジネスカジュアルを意識してきました。そして自分がこの服装について一番言いたいことは、『両親、ありがとう』ということです。今回の面接が私服面接だと言うと、普段は食費・光熱費以外に殆どお金をくれない親が代金を出してくれました。やはりこういう時は出資してくれるんだなぁと思い、親というのは本当にありがたいものだと改めて感じました」と答えました。しかし「ああ、なるほど」と面接官の顔色が良くありません。しまった、流石に最初に返答したというアドバンテージをもってしても陳腐すぎたか……。続いて数人が挙手して少し独自性のある返答をするも、その後挙手ができず面接官から指名された学生がことごとく「実は僕も親に服を買ってもらって……」と答えます。当然悪くなる面接官の顔。陳腐の上に陳腐を重ねる、まさに陳腐レーション。それ以降の集団面接の記憶はあまり残っていません。

 次に、先ほどと同じ面接官3人に対し学生1人の個人面接となります。今回はESが面接官の手元に渡っているので、また企画するマンガの話になるのですが、今回は私が「プロに聞いたテクニックを盛り込んで~」と話しても、面接官が「で?他にないの?」という反応です。「それは、このマンガに他の展開の仕方があるかどうか、という意味でしょうか、それとも全く別の企画があるかどうかという意味でしょうか」と尋ねると、「全く別の企画だよ。いくつも考えられないと編集者として務まらないからね」とのことでした。

 この時点で完全にテンパっていました。確かに複数本準備していた方が良いというのは分かっていました。しかしプロに時間を取ってもらって、プロの話を聞いて考えた企画、というのは他の学生はまず用意してこないだろうと考え、他の企画についてあまりしっかりと考えていなかったのです。咄嗟に自分が言ったのは「え~と……文豪の生まれ変わりの学生がいて、その学生どうしが文豪の小説の中の登場人物を使役して戦う、というのはどうでしょうか。例えば芥川龍之介の生まれ変わりなら、下人や老婆を召喚する。太宰ならメロス。谷崎ならナオミや春琴や佐助、といったような具合で……」しかしこれが悪手だということは分かっていました。物語の中から人物が登場するというのは藤田和日郎の『月光条例』があると知っていましたし、文豪が活躍する、というのは朝霧カフカ春河35の『文豪ストレイドッグス』で既出だからです。自分はそれを知っていたからこそ、その二つに完全には掠らないラインをなんとか見繕って言いました。

 返ってきた返答は、それを見透かしてか見透かさずか「で?他には?」のみ。何とか捻り出した返答が5文字で返されて、精神的には完全にノックアウトされていました。何とか場を繋がないと、と思い、出てきた返答は、「えーと……新作マンガを、冨樫先生に原作だけ書いてもらって、作画は別の人……例えば暁月あきら先生(※当時はめだかボックスが連載終了したころだった)にやってもらうとか……その方が休載しがちな冨樫先生も負担が減ってのびのび書けるかもしれませんし……」そして返ってきた答えが「あー、もういいよ」

 ああ、やってしまった。おそらく自分は何か地雷を踏んだのだ。冨樫先生が休載しつつも自分の作画でマンガを書き続けるということは、何らかの拘りがあってのことなのだろう。それを一介の学生がそんな事情も知らずに、知ったように語っていたらそれは腹立たしいだろう。先生を大事にするという、編集者に一番大事な素質がないということが露見したら、それはその時点で見切られるわ。

 ……それ以降は覚えていません。あれは圧迫面接で、もしかしたら実際は通っているかもしれない、という一縷の望みに掛けて結果を待ったが、ダメでした。

第七章 今、振り返って

 集英社に受かることを修士生活における希望としていた自分は、他の会社の面接でも力を出すことはできず、ことごとくウソのようにボロ負けした。もう、何もやる気を出す力は残っていませんでした。

 後悔する点はいくつもあります。もっと企画を準備すべきだった、とか、集団面接で唐突に聞かれるタイプの質問をもっと対策しておくべきだった、とか、社交性を示す経歴(留学とか)をもっと作っておくべきだった、とか、創作力で押すならコミケでのソフト販売くらいまで至っていないとあまり意味がない、とか、マンガの新タイトルに採用されたという連絡が来たとき、強引にでも集英社の社内を深く見学する機会を作るべきだった、とか(実際は採用に驚き喜んで頷いているうちに、会話が終わってしまいました)。しかし、ハードな研究生活の中、就活の一年前くらいに出版社を受けることを思い立った自分には、出来ることはこれくらいしかなかったのかもしれない、とも思います。あと1年だけ、年齢制限に引っかからずに集英社を受けるチャンスはあったので就活留年をさせてもらえば良かったのかもしれませんが、研究が不調ゆえに教員の先生との交渉も躊躇ってしまいました。そうこうしているうちに集英社を新卒で受けられる年齢は過ぎました。

 しばらく無気力に生きる日々が続くのですが、ここから生命への興味という原点に頑張ってもう一度だけ立ち返って、医学部を受けなおす元気が出てくるのはまた別の話。

 最後に一つだけ言いたいのは……「オイ!!!この面接の後に原作:冨樫義博のマンガ出たやんけ!!しかも”奇跡の企画”みたいな感じで!!!!!」ってことですね。

mantan-web.jp

(まぁ、それはそれで、面接では冨樫先生を原作にするのは誰でも考え付く陳腐なアイデア、ってことで見切られた、ってことなんだろうけど)